20110619

振り返ってみよう

posted by ならむら

インターネッツというのはおそろしいところで、軽い気持ちの発言でも半永久的にデータとして残ってしまう。
つまり現時点での行動と過去の発言をいつまでも比較されてしまうのだな。
そんなことをされて切ない気持ちにさせられる前に、自分で過去の発言に突っ込んでおこう。
とうことで、GR3 PROJECT解散時に俺が書いたメッセージを再録。長いので冒頭とシメを抜粋。

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GR3 PROJECT終了に関して
ならむら

 何年続きましたっけ。俺が大学出て直後ぐらいから始めたはずだから8年ぐらいは続けてましたかね。その間に作ったゲームは2本。少ないねぇ。でもゲームの規模から考えれば趣味でやるのはこれが限界かもしれないね。とにかく、LA-MULANAみたいな怪物を5年もかけて作って景気良く無料でばら撒いたのは、今考えればもったいない話ですわな。しかしながらそれで自分たちの活動が知れ渡ったというのも事実ですが。

 さて、GR3PROJECTも終了になります。終了する理由はもういまさら特に話すことでもありませんから、我々の活動の総括でもしてみます。

  MSX風のゲームを作るということ。さらっと言ってしまえば「趣味の追求」でしかありません。おっさんたちの懐古趣味です。今のご時勢に画面や音だけでなく操作やシステム制限までMSX風にするということはなーんの意味もないし新しく生み出されるものもありません。全て過去を向いている情熱ですわね。こう書くとものすごくネガティブな感じですが、8年間徹底して追及してきたことには意味があると思います。レトロゲームという、ブームは来たけど時代遅れと片付けられてしまいそうなものの中にもまだまだ可能性は眠っているということ。レトロゲームで育ってきたから、思い出が美化されてるからと言われそうですが、自分たちが作ってきたのはレトロ風の新作ゲーム。レトロゲームの形態で新しいものがまだまだ作れると実感できました。

  製作が終わっているからこそ、こんな風に思えるんですが、思い返せば製作中も我々はこれを目指して作り続けていたんだと思います。決してレトロゲームを再現するためにやっていたのではないな、と。あの頃感じた面白さを追求していたわけです。古いかもしれないが色あせてはいないあの頃の面白さ。LA-MULANAでレトロゲーム世代でない人にまで評価されたことで自分たちがやってきた事は間違っていなかったなぁと確信を持つことが出来ましたからね。とんでもない財産をいただきましたよ。

 たまに何を考えて、どういうポリシーでゲームを作ってきたのか聞かれることがあります。しかしながらそんなの聞かれても「これだ!」っていう答えが返せないんです。製作前に「今回はこういうポリシーを持って製作しましょう」なんて決めたこともないし。しいて言うならば、製作者3人とも過去の趣味や好みが近く、確認しなくても互いに通じているので、淡々と作っても自分たちなりのポリシーがゲームに反映されてしまってるんです。MSX風だからMSXで出来ないことはやらないなんて決まりごともありましたが、そんな些細なことはどうでも良くて、「3人が面白いと思うものを目指す」としか答えようがないですな。
  問題はこの「面白い」の基準ですわな。何を持って「面白い」とするのか。3人で会話しているとこの基準が3人の中で最初から出来ていたので改めて面白いもの討論なんかもしたことがありません。

〜中略〜

 俺以外の二人はプログラマなので技術的な面での面白さも求めていると思いますが、やっぱり「自分たちが何を考えてゲームを作ったのか」なんて聞かれても明確に答えを出せないです。改めて考えたわけでもなし、今でも決定的な方法論を身に着けたわけでもないし。面白いかどうか実際作ってみないと判断できねー!なんてこともありました。語れといわれたら自分の中でまとまっていないのでこんな感じの長文になるわけです。特に俺は3人の中でもっともいいかげんな作り方をしてまして、GR3の時もLA-MULANAのときも「配置が絶妙」とか「この演出すごいっすね!」と言われてもピンときません。「こうだ!」と狙って作ったわけでもなく、ただ頭に浮かんだものを形にしているだけでして。動いてるゲームの画面が頭に浮かぶんですよ。それで面白いかどうか判定しているところがあります。ぜんぜん理屈で作ってませんね。答えを出せといわれても無理なわけです。GR3なんかは「MSXグラディウスだったらこんな感じで配置されてるはずだから」で配置を決めていましたが、後になってMSXでグラデイゥス2を遊んでみると、GR3、敵置きすぎです。自分の頭の中じゃグラ2もこのぐらい敵がうじゃうじゃいたような記憶があったんだけどなぁ。まぁつまりは我々、理屈じゃなくて体にしみこんだものを基準に作ってるって事なんですかね。あの頃の面白さとかバランスが体にしみこんでるんです。考えるなといわれても勝手に出てくるもんなんですよ。

 GR3PROJECTを、つまりMSX風ゲーム作りを終了するということは、製作のベクトルが過去に向かっていたのをやめるということです。未来に向けてみようって事ですね。こうやって文章にまとめてみるとやっぱりレトロゲーム万歳!な感じにまとまっちゃうんですが、最近ではこうも考えるようになりました。その賛美に値するレトロゲームすら、こういった理論を考えて作られたかというと、決してそうではない。今の時代になって、面白かったものを分析したからこそ、そう考えられるってだけの話なんですよ。その代表例としてザインソフトのトリトーンというゲームがあります。ろくにヒントもない中を散策して謎を解いていく過程がたまらなく楽しいアクションRPGですが、そのヒントのなし具合とバランスや表現方法を徹底的に考えて作り出されたかというと、ザインソフトがそんなことまで考えて作ってるわけがない。「ハイドライドがはやってるから似たようなの作ろうぜ!」ぐらいなもんです。でも当時は多かれ少なかれどこの開発もそんな感じだったと思います。ゲームの規模からして、考え出される結果が今で言う「レトロゲームの面白さ」になっていただけの話です。メモリが少ないから、グラフィックがしょぼいから、容量がオーバーするから、工夫してこういうゲームになった。それが面白いと思ったのが我々の世代ってだけの話なんですよ。今現在、スコアというものが意味を持つゲームがどれだけあるか。昔は上達度、達成度を数値で表すしかなかったんです。今はそれが到達した場面やキャラクターの強化レベルに変わって行ったわけです。レトロゲームが神様なわけじゃない。でもそこには確かに「ゲームとしての面白さ」があったわけです。我々はそれを追い求めていたんでしょうな。それは今の時代にも十分面白いと思えるもののはずです。それを証明してみたかった。そしてそれは我々のゲームを熱中して遊んでくれた皆さんのおかげである程度形として残すことが出来ました。ホント、どえらい財産をいただきました。ありがとうございました。

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これを書いたのが2006年10月。ふむ、さほど今も昔も書いていることは一貫している気がする。
変わったことと言えば、NIGOROとして活動をして自分なりに「ゲーム作りの方法論」ぐらいは頭の中にまとめた。
あとはこの5年前にフイた大言が実行できているかの判断だな。

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